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マチュー・プティジャン氏 Interview (vol.1)

モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団の第一首席奏者として活躍し、2022年セイジ・オザワ松本フェスティバルのため来日したマチュー・プティジャン氏。その経歴(vol.1)や、サイトウ・キネン・オーケストラ、新たに研究開発のリーダーとして参加することになった〈ビュッフェ・クランポン〉のオーボエ部門について(vol.2)のお話を、2回の記事に分けてお届けします。(通訳:壇野直子)
 
Vol.2の記事はこちらからご覧ください。
 
  ご出身はどちらですか。
 
プティジャン(敬称略) ブザンソン国際指揮者コンクールが行われるブザンソン出身です。
 
 
  オーボエはどのように始められたのでしょうか。
 
プティジャン 父が音楽愛好家で、私もいつも音楽を聞いていましたし、子どもの頃からプロの演奏家になりたいと思っていました。そこで、まずは国立地方音楽院のピアノのクラスに入りました。しかし、音楽院に入る際に子供向けの楽器体験があり、オーボエに息を吹き込んでみたところ大きな音が出て、一瞬でオーボエが大好きになりました。ピアノは耳の訓練に役立つので続けましたが、こうしてオーボエを始めました。
 
 
  ブザンソンからパリ国立高等音楽院に入学されたのでしょうか。
 
プティジャン パリ国立高等音楽院の受験準備のため、サンモール音楽院(現 サン・モール・デ・フォッセ地方音楽院)でミシェル・ジブロー先生に習いました。ジブロー先生は、水戸室内管弦楽団や、フルートの工藤重典さんと同時期のサイトウ・キネン・オーケストラで演奏されていた、並外れた知性とシンプルさを備えた偉大なオーボエ奏者です。とても良い先生でたくさんレッスンをしてくださいました。
 
 
  その後、パリ国立高等音楽院でジャック・ティス氏に師事されましたね。どのような先生でしたか。
 
プティジャン これまでいかなる奏者も教師も成功しなかった、オーボエの音の発生のメカニズムをより深く理解し、発展させたという点において、20世紀のオーボエ界で最も偉大な人物の1人だと思います。ティス先生は、パリ音楽院の彼のクラスの生徒全員を卓越した演奏技術のレベルまで成長させることができます。例えば、ベルリンで活躍しているヴィオラ・ヴィルムセン(Viola Wilmsen)さんは、半年か1年後には、先生の指導で本当に驚くほどの成長をしました。彼女は現在ドイツを拠点に大活躍しています。先生は誰かのオーボエを聴くと、まるで病院のCTスキャナーのように、目には見えない音の発生のメカニズムを完全に聴き取り、分析することができます。そして、筋肉や姿勢、呼吸や響かせ方など、どのように修正すべきかを、まるで天才外科医のように細部まで正確に見極めることができます。

 先生はさらに、偉大な音楽家、パリ・オペラ座管弦楽団の首席奏者で、音楽の造詣には限りがありません。そして、各楽曲について、中でも特にオーケストラ作品で、演奏上の細かな点まで指導できる希少な方です。この2、30年で先生の生徒だったパリ音楽院の学生の多くは、フランスや欧州の主要オーケストラに入団し成功しています。どのようにオーボエの音が発生しているか、どうしたら偉大なオーケストラ奏者になれるかという2つの点における先生の観察眼は、まるで宝石商のようだと思います。

 ティス先生からは、「しっかりと自分の演奏を聴けば、必ず問題の解決策を見つけられる」ということを学びました。少し話が逸れますが、私は今、〈ビュッフェ・クランポン〉のオーボエの開発にやりがいを感じ、多くの時間を費やしています。そこでもティス先生の教えが活かされています。楽器を鳴らすということは振動が起きているのですが、先生は、うまく振動していない部分を聴き取ることができる耳を作ってくれました。〈ビュッフェ・クランポン〉の仕事では、何度も何度も繰り返し聴き、問題の解決策を見つけることに楽しみを感じています。
 

マチュー・プティジャン氏

 
  パリ国立高等音楽院と言えば、フランスの音楽教育機関の最高峰になりますが、なぜハノーファー音楽演劇大学でも学ばれたのでしょう。
 
プティジャン ハノーファー音楽演劇大学は1年間の交換留学でした。その間にオーケストラに入団し、団員として仕事をし、在籍しながらパリ音楽院を卒業しました。

 留学した理由は、それまでの私の勉強の過程で、長い間エコール・フランセーズがドイツの楽派と対立関係にあったからです。私はフランスの先生方の演奏を聴き、一方で、ドイツのインゴ・ゴリツキ先生やクラウス・ベッカー先生の演奏も聴きました。もし、この2つの楽派の良い点を合わせたら、最強のものができるのではないかと頭の中で繰り返し考えました。

 「ドイツの楽派を勉強するつもりなの?彼らはピッチが高いし、ビブラートをどこにでもかけるよね」とよく言われました。例えば、私はアルブレヒト・マイヤー氏の演奏をよく聴きますが、ビブラートをたくさんかけています。ゴリツキ先生もそうです。彼らのワーグナーやR.シュトラウスを聴いて私は本当に美しいと思いました。しかし、ドビュッシーやラヴェルはティス先生の演奏を聴きたいと思うことでしょう。この点から、ワーグナーをマイヤー氏のように、ドビュッシーをティス先生のように演奏できるようになりたいと考えました。
 
 そこで、ドイツのオーケストラに入団できるように指導してもらうため、ベッカー先生のクラスに入りました。すでにティス先生が私をオーケストラ奏者として一人前に演奏できるようにしてくれていましたが、「私は、伝承されている全ての知識の中から、自分が好むものを選択して表現できる音楽家です」と胸を張って言える日が来るためには、ベッカー先生からも指導してもらいたかったのです。
 
 現在、私はザールブリュッケン音楽大学で教えており、学生に可能な限り多くのことを授けようと思っています。教育において重視しているのは、生徒に全ての色の使いかたを覚えさせることです。青空を描くとき赤は必要ないかもしれません。しかし、絵画に詳しければ、少し赤を塗ってから空を描くと違う青空に仕上がることが分かります。このことから、まずは全ての能力を身につけ、その上で何を使うか決めるべきだと考えています。
 
 
  仏、独、楽派の違いをご説明いただけますか。
 
プティジャン エコール・フランセーズの特徴は色彩。ドイツの楽派の特徴はフレージングです。決して、ドイツの楽派に色彩がなく、エコール・フランセーズにフレージングがないと言っているのではありません。ただ、ドイツで一番重要視されているのはフレージングで、フランスでは色彩なのです。
 
 ドイツでは、フレーズの始まりから終わりまで力を維持しながら、しっかりとフレーズのラインが出るようにして、フレーズの終わりまで緊張が持続されている傾向があります。もちろん、フランスでもフレーズのラインを表現しますが、直線的な感じがするフレージングはタブー視され、ちょっとした急な変化やテンポの緩みがあることを好みます。例えば、ティス先生は「その緊張感はいい。でも緩むことも必要だ」といつも言っていました。フランスのフレーズの中には緊張と緩和があります。
 
 また、オーケストラにおいては、ドイツではチームプレーが大切にされていると思います。ドイツでは全員が一つになり、他の楽器と溶け合うことが大切です。そのため、オーボエ奏者は、クラリネット、フルート、ファゴットの音色に溶け込み、チームの一員として演奏することを求められます。一方、フランスではオーケストラの中のソリストとして扱われている印象があります。つまり、個性を発揮することが大切にされています。
 
 
  在学中からプロの楽団に入ったのですか。
 
プティジャン できるだけ早くプロになりたかったので、ハノーファー音楽演劇大学でベッカー先生に師事すると、すぐにハノーファー州立歌劇場首席奏者の入団試験の準備を始め、3カ月後に合格しました。その後も1年間ベッカー先生の下で勉強を続けました。先生は、R.シュトラウスやワーグナーの演奏のコツを教えてくれながら、ドイツ音楽のレパートリーを丁寧に指導してくださいました。私は歌劇場でR.シュトラウスやワーグナーを演奏することが本当に好きです。
 
 ハノーファー州立歌劇場では仕事量が半分のポストでしたので、自由な時間が沢山あり、まずはパリ音楽院を卒業することができました。また、他のオーケストラからきた客演依頼に応えることもできました。ハンブルク州立歌劇場、フランクフルト歌劇場、ベルリン国立歌劇場などで演奏しながら、オペラのレパートリーの知識をたくさん吸収していきました。こうしているうちに、最高レベルの歌劇場管弦楽団に入団したい、という気持ちが芽生えてきました。
 
 そして、難しい選択に迫られました。2014年頃だったと思いますが、12月に2つの入団試験がありました。フランスの最高峰のパリ・オペラ座の首席と、ドイツの最高峰のバイエルン国立歌劇場の首席でした。そして私は、今では自分の生徒に絶対やらないようにと言っていること、つまり両方にエントリーして後で決めようとしました。なぜやってはいけないかと言いますと、入団試験では良い演奏するための練習ではなく、「私はこのオーケストラの首席オーボエ奏者になります。私の演奏はお気に召しませんか?」という風に聴いてもらって、合格することが目的なのです。そこまで自分を持っていけるかどうかです。
 

マチュー・プティジャン氏

 
 早い段階から「これは無理だ」と感じ始めました。先ほどお話したように、2つの国には美意識の違いがあります。同じ月に、バイエルン国立歌劇場の首席とパリ・オペラ座の首席になることはできません。どちらか選ばなくてはなりません。入団試験の順番は、まずはバイエルン、次にパリでした。そこで、ティス先生をがっかりさせないように、「両方ともエントリーをしていますが、バイエルンを受けに行きました」と言いました。
 
 そして、バイエルンの入団試験に合格しました。ティス先生に電話をすると、先生は「私はもちろん君にパリ・オペラ座を受けて欲しい。だが、この数年の君の勉強の成果がバイエルン国立歌劇場へと導いたのだ。君は2つの文化の融合を探っていて、ドイツ音楽がとても好きだ。きっとそれが君の運命なのだろう」と言ってくれました。私は安堵し、心から喜びを感じていました。私にとってバイエルン国立歌劇場への入団は、4、5年に渡るドイツのレパートリーとオペラのレパートリーの研鑽の集大成だったからです。
 
 
  その後、モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団に移籍されましたね。
 
プティジャン バイエルン国立歌劇場で演奏できるようになり、オペラのレパートリーに対する情熱が増していましたが、その後、交響曲の作品を深く知りたいと思うようになりました。マーラー、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスの交響曲を演奏することが恋しくなってきていました。
 
 私がバイエルン国立歌劇場の首席に就任した直後のある日、指揮者のトゥガン・ソヒエフ氏が私に、「マチュー、君のオーボエはとても素晴らしいのに、演奏するためになぜ舞台の下まで行くのかい」と問いかけてきました。オペラでは、オーケストラは舞台の下にあるオーケストラピットで演奏するからです。この言葉は私の頭の中でウイルスのように増殖しました。オーボエの音で主役も演じてみたいと思い、その思いは膨らんでいきました。
 
 そして、モナコのモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団から客演依頼がきました。しかし、ドイツ在住ということもあり、モナコに行って演奏することには興味がありませんでした。ただ、友人の1人が「南仏はいいところだし、有給でバカンスなんて最高!」と言ったのです(笑)。プログラムはシューベルトのザ・グレートで、この曲には美しいオーボエソロがあります。私は「よし、ザ・グレートのソロを吹いて、終わったら海岸に行こう!」と思いました。こうしてモナコでの演奏会を引き受けました。
 
 そして、あらゆる予想に反することが起きました。モナコに到着すると、街の美しさに目を奪われました。シューベルトのザ・グレートを演奏し、心から喜びを感じました。人生ではしばしば、何も期待していないと、大きなものを得ることがあります。モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団は素晴らしく、17の国籍の楽員で構成され、フランスでもドイツでもない特別な融合があります。街には歴史や文化もあります。ストラビンスキーは、ほぼ全てのバレー作品をモナコで作曲しました。ニジンスキーも住んでいました。ロシア文化の影響が今も色濃く残っています。
 
 シューベルトのザ・グレートを吹き終わった時、指揮者が私のところに来て、オーボエ首席が現在空席であること、楽員が私にぜひ来てほしいと思っていることを話してくれました。
 
 その夏中、私は考えました。運命が扉を叩くとも言いますが、私は自分がモナコに行きたがっていると感じました。モナコを知った今は、もうどこにも行きたくないですね(笑)。
 
モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団でR.シュトラウスのオーボエコンチェルトを演奏するマチュー・プティジャン氏(引用 OPMC: Matthieu Petitjean en brillant soliste
 
  モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者は日本人の山田和樹さんですね。
 
プティジャン 山田さんがモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団の客演指揮者から音楽監督兼芸術監督に就任したことは、これが運命だったことを別の方法で告げているようでした。
 
 彼の指揮は、誰もが演奏を聴くだけで、指揮者が彼であることを聴き分けられます。それは高い技術と壮麗な指揮の動作によって、裏付けられています。彼は指揮者として、クリスティアン・ツィマーマンやアンネ=ゾフィー・ムターのような多くの偉大なソリストから信頼を寄せられています。
 
 さらに、山田さんの指揮には、非凡なものがあります。彼は、奏者が自由に表現できる余地を残してくれるのです。
少し比べてみましょう。威厳に満ちた態度の指揮者もいます。オーケストラにやって来て、どのように演奏すべきか話し始めます。「あなた、このソロのフレーズはこのように歌って。これくらいの強さで。アーティキュレーションは短めに、長めに・・・」といった具合です。
山田さんの場合は、彼特有のコミュニケーションの取り方をします。練習では、個々のインスピレーションがオーケストラの音の上で自由にきらめき、全員がニュアンスや、音程、タイミングを合わせて素晴らしい音楽を作り上げます。
また、彼が「ここはスペシャルな音をください」と常に言っていたことが、仲間内で話題になっていました。これは、言いたいことを全て含んだ言葉であり、奏者ひとりひとりに「何かを見つけてほしい」というメッセージなのです。
 
 音楽家として、私は押さえつけられるためにオーケストラで演奏したくありません。山田さんは、楽員たちに今までになかったことを見つけさせることができる指揮者です。時には、私にソロを吹かせて、「とてもいいです。でも、あなたならもっとできると思います。もっと上手くではなく、もっとスペシャルにです」と言います。すると、私は自問し始め、「オーケー、やってみよう!」となります。うまくいくときもあれば、いかないときもあります。しかし、うまくいったとき、「そう、それがスペシャルです!」という眼差しが向けられているのが分かります。このときの感覚が大好きです。私は自分が何を変えたのか言葉で説明することができませんし、彼も私が何を変えたのか説明できませんが、2人が納得する出来になっているのです。
 
 
Vol.2の記事はこちらからご覧ください。
 
 
 
※ マチュー・プティジャン氏が使用している楽器の紹介ページは以下をご覧ください。
〈ビュッフェ・クランポン〉オーボエ”レジェンド

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