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ストラヴィンスキー、クラリネットのための3つの小品

国際的なクラリネット奏者として多彩な演奏活動を行い、パリ地方音楽院やローザンヌ高等音楽院で教鞭をとるフローラン・エオー氏。エオー氏がフランスで執筆中のブログの日本語版を、シリーズ化してお届けいたします。
 
 
フローラン・エオー氏 ブログ Vol.4
イーゴリ・ストラヴィンスキー、クラリネットのための3つの小品
 
クラリネットのための3つの小品は、1919年にスイスのモルジュで、アマチュアクラリネット奏者のヴェルナー・ラインハルトのために、『兵士の物語』の初演を後援してくれたお礼に作曲したものです。
 
ストラヴィンスキーは、「感謝と友情の気持ちを表すために、彼のために作曲し、彼が技術的に熟達し、親しい友人たちの間で進んで演奏していたクラリネットのための3つの小品を捧げた」と述べています。
 
この3つの小品は、『猫の子守唄』(1915年)など、1913年から1915年にかけての歌曲を思わせるものです。

Igor Stravinsky – Berceuses du Chat for Voice and Three Clarinets (1915-16) [Score-Video]

 
そしてさらに、『3つの日本の抒情詩』(1913年)も連想させます。

Igor Stravinsky: Three Japanese Lyrics (1913)

クラリネットのためのつの小品の第1曲は、「sempre piano e molto tranquillo」と記された、長く静かで瞑想的な曲で、クラリネットの低音域が使われています。このニュアンスは、A管を選んだことにより、更に強調されています。『3つの日本の抒情詩』の1曲目、3曲目に近い雰囲気があることに着目してください。
 
第2曲は、2つ目は、小節をなくし、呼吸によって区切られた、流れるような曲です。音程、音の長さ、アクセント、フレージングの組み合わせにより構成される、純粋で複雑なリズムが特徴です。無調でありながら、一時的に現れる音のまとまりによって、調性があるように聴こえます。
 
第3曲は軽快で、やんちゃで、速く、楽器の高音域の短い音列の上でアクセントをずらし、変拍子となる悪戯な遊びです。これは『兵士の物語』のある一節を彷彿とさせます。

I.Stravinsky -L`Histoire du Soldat/ Suite de Concert, Pierre Boulez

この作品には非常に丁寧な注釈がつけられており、イゴール・ストラヴィンスキーは「すべての呼吸、アクセント、テンポとリズムを尊重すること」と明記しています。
 
この呼吸は、学生にとって軽視されることがあります。しかし、これには、フレーズを明確に区別することができる(演奏者にとっても、聴き手にとっても)一方で、音楽を軽やかなものにする、二重のメリットがあります。
 

チェスターミュージック社刊 第2曲より抜粋

 

チェスターミュージック社刊 第1曲より抜粋

 
この第1曲の抜粋では、わずか3拍後の最初の呼吸は肉体的な必然性はありませんが、この区切りによって、フレーズの2つの要素(仮にAとBとします)が明確に分離され、次のフレーズで集約されます(「A」はリズム的に減少し、「B」は切り捨てられる)。
各要素を呼吸とアーティキュレーションで分離することによって、音楽的な構造を明確にすることができるのです。
このフレーズの分割が音楽家にとって明白であったとしても、作品を初めて聴く人もいる中で、それを明確にする必要性に留意しなければなりません。
 
アクセントについては、リズミカルな音楽では当然欠かせません。また、第3曲をうまく演奏するには、交互に現れる4分音符、8分音符、付点8分音符の拍、2拍子と3拍子の連続など、ストラヴィンスキーが望んだとおりに拍や小節を尊重することが重要であることを付け加えてもよいでしょう。
 
次の例では、(確かに複雑な)拍子を3/16の連続に単純化すると、リズムの遊びがかなり減ってしまいます。

第3曲より抜粋 チェスターミュージック社刊

ここで、ストラヴィンスキーがこのテーマについて、示唆に富むコメントをしています。
「特に『春の祭典』に関しては、多くの曲の小節を音の長さで設定し、その通りに演奏することが重要でした。モントゥーやアンセルメのような少数の指揮者を除いて、多くの指揮者はこの楽譜の複雑な構造をあまりにも軽んじて、私の音楽と意図を損なっています。このように、値の異なる小節の連続を間違えることを恐れて、自分の仕事をやりやすくするために、この音楽を躊躇なく均等小節で指揮する人たちがいるのです。当然、このような手順では強拍と弱拍の位置がずれるので、指揮者が即興で作った新しい小節に対して、演奏者がアクセントを正すことになります。他の指揮者は、目の前の問題を解決しようともせず、ただ音楽を解読不能のちんぷんかんぷんなものに変え、必死で身振り手振りで隠そうとするだけです。このような『芸術的解釈』を聞いていると、職人の誠実な仕事に深い敬意を抱くようになりますが、そのような誠実さを備え、実行しているアーティストに出会うことがいかに少ないかを苦々しく思います。」
 

Stravinsky Conducts Firebird

ストラヴィンスキーは、「解釈」と「実行」を明確に区別しています。彼は「実行における明瞭さと完璧な客観性」を高く評価しています。
彼は、作曲家自身の内なる苦悩や葛藤を見せるロマン派とは一線を画しています。バーンスタインによれば、ストラヴィンスキーは「むしろ、『ペトルーシュカ』のようなロシアのカーニバル、あるいは『春の祭典』のような異教的なロシアという特定の世界に対して深い愛着を持ち、自分が感情移入している世界を見つめて、それらが自分の中で表現するものを音楽的に書き起こしているようです。出来上がった音楽は、ある種の美学的、非ロマンティックな記録で、一種の客観的表現です。ペトルーシュカには、ストラヴィンスキーではなく、ロシアの生活の一面が、ストラヴィンスキーの個人的な言葉で書き込まれているのです。」と述べています。
 
したがって、ストラヴィンスキーにとって、音楽は「解釈されるものではなく、伝達されなければならない」のであり、その結果、演奏家の価値は、「楽譜にあるものを見る能力」によって正確に測られるもので、「楽譜の中にあってほしいと思うものを求める頑固さ」ではありません。
彼は、最高の演奏家とは、まず何よりも確実な実行者であり、「技術的な熟練度、伝統の感覚、支配欲に全く左右されない貴族的な文化を持っていること」だと考えています。
彼は「骨だけでできた」自分の音楽を、セッコ、ノン・ヴィブラート、センツァ・エスプレッシーヴォで演奏することを要求しています。
 

Recording session with Igor Stravinsky part 2

指揮者としての彼は、八重奏曲に取り組んだ経緯を次のように語っています。「この音楽を大衆の耳に届けるためには、さまざまな楽器の入りかたについて『研ぎ澄まし』、フレーズの間に『空気を入れ』(呼吸)、イントネーション、楽器の韻律、アクセントに特に注意を払い、つまり純粋に音のレベルでの秩序と統制を築く必要がありました。私は情緒的な要素よりも、この秩序と統制を常に優先しています。」
 
テンポの尊重が最大の問題点です:「私の作品は、間違ったテンポや曖昧なテンポで演奏されなければ、ほとんどどんなものでも大丈夫です。」
 
ここでは、バーンスタインが持ち前の力強さとリズムの正確さによって「先史時代のジャズ」の表現を模索した『春の祭典』のワーク・セッションを紹介します。
 

Bernstein: Stravinsky RITE OF SPRING Rehearsal

最後に、ちょっとした息抜きに、伝説的な「音符が多すぎるよ、モーツァルトさん」に続く、「うるさすぎるよ、ストラヴィンスキーさん」を紹介します。ここで、ストラヴィンスキーが語った逸話と、「どの部分でしょうか?」という面白い切り返しがあります。

‘Too much noise’ Talking to Stravinsky

 
 
フローラン・エオー氏 関連リンク
※ ブログVol.1 「ドビュッシー、クラリネットとピアノのための第一狂詩曲」はこちら
※ ブログVol.2「プーランク、クラリネットとピアノのためのソナタ」はこちら
※ ブログVol.3「シャルル=マリー・ヴィドール、クラリネットとピアノのための序奏とロンド」はこちら
※ ブログ(オリジナル版)はこちら
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※ 本記事は、フローラン・エオー氏のご承諾のもと、2013年1月13日に公開されたブログ記事を株式会社 ビュッフェ・クランポン・ジャパンが翻訳したものです。翻訳には最新の注意を払っておりますが、内容の確実性、有用性その他を保証するものではありません。コンテンツ等のご利用により万一何らかの損害が発生したとしても、当社は一切責任を負いません。

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