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千葉直師氏 My Story (vol.1)

ウィーン国立アカデミーに留学後、NHK交響楽団奏者、東京都交響楽団首席奏者を務め、長年にわたり後進の指導も行ってきた洗足学園音楽大学大学院 名誉教授千葉直師氏。楽器をはじめたきっかけや、留学時代、オーケストラでの活躍など、ご自身の「自分史」を振り返っていただきました。(インタビュー:今泉晃一 2020年9月1日 東京にて)
※ 本ページは前半部分です。記事後半はこちらからご覧ください。

最初は、5円もらってアンブシュアを作ることから

  お父様は元NHK交響楽団クラリネット奏者の千葉国夫氏であり、最初はお父様にクラリネットを習っていたそうですね。
千葉(敬称略) 小学生の頃の私は野球ばかりやっていて、将来も野球選手になりたいと思っていました。うちの親も取り立てて(クラリネットを)やれと言いませんでしたが、小さい頃から近所のピアノの先生のところに通ってはいました。ただ、当時は男の子がピアノを習うなんて恥ずかしくて、隠れるようにして通っていたのを覚えています(笑)。
 小学4年生くらいのときには、学校から帰るとクラリネットのマウスピースをくわえて、音を出さずにアンブシュアの形だけ作って息を吐くということをやらされていました。15分くらいやると5円くれるので、それを貯めて駄菓子屋に行くのが楽しみで、小遣い欲しさに言うことを聞いていました(笑)。それがクラリネットを始めたきっかけですね。

  音は出さなかったんですね。
千葉 音を出そうとすると口の形が崩れてしまうので、最初のうちは音を出さず、3か月くらい経ってアンブシュアが固まってきたら徐々に音を出すようになり、ゆっくりと指を動かす練習を始めました。今考えるとそれはクローゼの一番優しいエチュードで、正しい指の形でキイを押さえるということを体に浸み込ませるためだったのでしょうね。しばらくは5円もらうために毎日練習していました。

  今は3か月間も音を出さずにじっくりとアンブシュアを作るなんていうことをする人はまずいないでしょうし、当時でもお小遣いをもらわなかったらやっていなかったのでは?
千葉  やっていなかったでしょうね(笑)。もともとクラシックもあまり好きではなく、ロックの方が好きでそっちをやりたいと思っていましたから。クラリネットを親父に教わったのは中学くらいまででしたが、中学3年生くらいのときには大学入試に出るようなエチュードも吹けるようになっていました。親父のところに東京藝大受験生がレッスンに来ると呼び出されてお手本を吹かされることもありましたが、私のお手本を聴いた人がみんな東京藝大に合格するので、「これなら(自分も)いつでも藝大に入れるな」なんて思っていました(笑)。
 最初は高校も東京藝大附属に行こうかと思っていたのですが、結局普通科を選び、そこでバンドを作ってエレキギターを弾いていました。その間クラリネットはほとんど吹いていませんでしたが、藝大受験のためのピアノのレッスンとソルフェージュには通っていました。

  もともと好きだったロックにのめりこんだわけですね。
千葉 当時はベンチャーズが流行っていてエレキブームでしたから、余計ですね。大学受験は高校3年の夏休み明けくらいから準備したのですが、どうにか東京藝大に入れました。大学に入っても、今度はビートルズが大ブームになった頃で、またバンド活動を始めて、大学1年のときには単位を全部落としてしまいました(笑)。
 ところがエレキギターをやっているうちに、「自分よりはるかに上手いヤツがたくさんいる。ロックでは勝てない」と思い、バンドはパタッとやめて2年生からは真面目にクラリネットに取り組むようになりました。

生まれたときから自分の周りには音楽家がいた

  それにしても、音楽としてはロックが好きだったのに、音大に行くのは自然なことだったのですね。
千葉 自分がクラシックを演奏するプロになるなんて具体的には考えていなかったんですけど、将来はオーケストラの中でクラリネットを吹くものだと小さい頃からなんとなく思っていました。やはり親父を見ていたからでしょうか。しかも、お袋は東京藝大の声楽科出身だし、いとこはN響でホルンを吹いていた千葉馨で、その両親も音楽の先生。自宅にはN響のメンバーとか音大生がしょっちゅう来て酒を飲んでいました。そんなふうに、生まれたときから自分の周りに音楽家がいたことは大きかったですね。

  大学時代の思い出と言えば?
千葉 同級生と一緒に、藝大の近くにあったウイーンという喫茶店によく行っていました。レコードをリクエストできたんですが、(レオポルト)ウラッハの吹くブラームスのクラリネット五重奏曲を聴いては「良い音してるなあ」と酔いしれていたものでした。その頃からですね、ウィーンのクラリネットが好きだったのは。
 中学生の頃から、カール・ライスターの先生でもあるハインリヒ・ゴイザーが吹いているウェーバーのクラリネット協奏曲第1番のレコードを親父に言われてずっと聴いていて、スタッカートなどはそれをお手本にしたものでした。

  お父様以外に先生は?
千葉 高校までは誰もいませんでした。でも、親子というのはレッスンにならないんです(笑)。東京藝大に入って1、2年生のときは三島勝輔先生でしたが、3、4年になると親父が担当する予定で、「これは困ったな」と。そこで3年生のときには、ウィーンのフォルクスオーパーでクラリネットを吹いていたフリードリヒ・フックスがN響に1年間来ていたので、その間はN響の練習場に行ってレッスンしてもらっていました。ある時先生に「スケールはどの位の音量で吹くのですか?」と質問したら、「mf(メゾフォルテ)、それも“健康的な”」と言われたの今でも良く覚えています。その後、4年生になったときにちょうどパリから浜中浩一先生が帰ってきたので、ビュッフェ・クランポンの主催する音楽教室で習うことにしました。結局、大学で親父のレッスンを受けることはありませんでした(笑)。
 ただ、家で楽器を吹いているとふすまの向こうから親父が注文を付けるんです。そのときは反抗しますが、寝る頃になると「やっぱり親父の言うとおりかな」と思って次の日密かに練習したりとか。私も中学・高校の頃からN響の定期をよく聴きに行っていましたから、そういうところで「オーケストラの中のクラリネットの音」というものをイメージしていたのだと思います。
 自分がオケの中で吹くようになってからはなるべく親父に客席で聴いてもらって、意見を言ってもらっていました。自分の音というのは録音を聴いたってわかりませんから、オケマンは信用できる人に聴いてもらうということが非常に大事なんです。そして他の人に何を言われても聞かないようにしていました。

ウィーンで、オペラに通ってプリンツ先生の演奏を聴いた3年間

  1970年、大学卒業と同時に東京都交響楽団に入られた。
千葉 大学4年生のときには大学院に進もうと思って、願書だけは出していました。そこへちょうど都響のオーディションがあって、試しに受けたら受かってしまって。もちろん大学院受験はやめたのですが、そのことを大学側に言っていなかったために、試験の日に大騒ぎになったそうです(笑)。

  ウィーンに留学されたのも、都響に入られてからですよね。
千葉 大学3年生のときにカール・ミュンヒンガー指揮ウィーン・フィルで、アルフレート・プリンツがモーツァルトのクラリネット協奏曲のレコードを出しました。それを聴いたときに「もうこれしかない!」というくらい感動したものでした。
 都響に入ってから1年目くらいのときにプリンツがウィーン室内合奏団で来日して、なぜか都響のクラリネットセクションと指揮者の井上道義とプリンツとで飲むことになったんです。「憧れのプリンツに習いたい」とは思いましたが、何しろ楽器が違う。向こうはウィーン式のハンマーシュミットだし、こちらはフランスのビュッフェ・クランポン。運指も違うし、まるで別物と言っていい。
 でも試しに頼んでみると「音楽は楽器じゃない。心だよ」と言ってくれたのを、今でも覚えています。その後オーストリア政府の給費留学生の試験にも受かって、ウィーンに留学できることになりました。1971年のことです。指定されていたウィーン国立アカデミー(音楽大学)に入らなければならないのですが、プリンツはそこにはおらず、教授はペーター・シュミードルとルドルフ・イェッテルでした。結局、学校ではイェッテルにつくことになり、プリンツにはプライベートでレッスンを受けました。

  イェッテルさんもウィーン・フィルで首席を務めていた方ですよね。
千葉 イェッテルにはとにかく指を鍛えられましたね。彼の難しいエチュードを3年間やりました。「これを吹ければR.シュトラウスのオペラだろうと何でも吹けるぞ」と言われてね。それと並行してオーケストラスタディもみっちりやりました。ウィーンのクラリネット教育というのは、コンクールで勝つようなことが目的ではなく、将来オーケストラで吹くためのものです。オーケストラの中でははったりを効かせてもダメで、まずきちんと音が並ぶことが大事だという教えでした。

  プリンツさんはどんなレッスンだったのですか。
千葉 プリンツ先生は、何にも言わないんですよ。ウールのエチュードを持って行っても、ブラームスのクラリネット・ソナタを持って行っても、「Sehr gut!(とても良い)」しか言わないし、自分の楽器も出さずに聴いているだけです。「それならオペラで先生の演奏を聴くしかない」と考えて、3年間オペラに通いました。国立歌劇場には格安で見られる立ち見席があるので、いつも一番高い場所の右サイドで聴いていました。舞台はあまり見えませんが、その代わり管楽器セクションが真正面に見える席でした。
 まず感じたことは、アンサンブルの素晴らしさ。ウィーン・フィル独特の、管楽器のふくよかな響きが溶け合う様が本当にきれいでね。それがソロになるとものすごく豊かな表情で歌うわけですよ。中でも、《トスカ》第3幕〈星は光りぬ〉のプリンツのソロは今でも耳に残っています。ウィーンに行って何がよかったって、ウィーン・フィルをムジークフェラインと国立歌劇場で聴けたことです。ホールも楽器のうちですからね。ウィーン国立歌劇場がNHKホールでオペラを演っても聴きに行こうとは思わないもの。そしてオペラが終わったらケルントナー通りの居酒屋でワインを飲んで帰る。その雰囲気も大事なんですよ。

後半につづく。

※ 千葉氏が使用しているR13の紹介ページはこちらをご覧ください。

※ アーティストインタビュー一覧はこちら

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