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Patrick Messina Interview 2018

クラリネットの世界的名手、パトリック・メッシーナ。若き天才が世界屈指の奏者になるまでの遍歴や、現在の活動、愛用中のクラリネットについてインタビューを行いました。
取材:ビュッフェ・クランポン・ジャパン(2018年8月19日・東京にて)

若き天才と自己確立の旅

  まず、クラリネットを始めたきっかけを教えてください。
メッシーナ 私の生まれた南フランスのニースの町には大きな吹奏楽団があり、そこで父がクラリネットを吹いていました。私はその父に憧れてクラリネットを始めました。父はイタリアのシチリア出身、母はスペイン出身で、二人とも音楽と歌が大好きでした。クラリネットを習うためにニースの地方音楽院に入学しレッスンに通いましたが、それと同時に父からも指導を受け、基礎練習や、曲を声で歌って表現する練習をしました。

  若干14歳でパリ国立高等音楽院に入学し、ギィ・ドゥプリュ氏とミシェル・アリニョン氏に師事しましたね。それぞれどのようなレッスンを受けられましたか。
メッシーナ ドゥプリュ氏は、私があまりにも若かったため、才能を伸ばすことを目的とした寛容な指導をしてくださりました。その後、ある程度成長してからアリニョン氏に師事し、先生の確立したスタイルを軸に細やかな指導を受けました。

  その後、アメリカに留学していますね。ヨーロッパ最高峰の音楽教育施設であるパリ国立高等音楽院を卒業された後、なぜ更にアメリカで学ぼうとされたのでしょうか。
メッシーナ 実はパリ国立高等音楽院卒業後、アメリカに行く前に、クラリネットをやめていた時期があるのです。パリ国立高等音楽院を卒業した時、私はまだ17歳でした。クラリネットを持って人前に立つと、技術的には上手に吹くことができましたが、「内気なパトリック」はクラリネット奏者の仮面に隠れてしまい、感情を表面に出せませんでしたし、出す勇気も持てませんでした。演奏家として活動を開始するには、あまりにも若く、何をして良いのかわからなかったのです。自分の内面を成長させるためには、少し時間が必要でした。そこで、演劇の国立高等学校であるクール・フローランを受験し、自分でも驚きましたが合格したため、クラリネットを2年間やめて演劇を学びました。

  演劇の学校ではどのようなことを学ばれましたか。
メッシーナ 自分の感情を見せることを怖がってはいけない、内気なままでは駄目だとわかりました。心配になったり不安に感じていると演奏に伝わってしまいます。しかし、それと同時に精神的な脆さは、音楽においては大きな力になることも理解しました。自分の弱い部分、感情を見せ聴衆と共有することは、共感や美の伝達にもつながるからです。 また、演劇における戯曲は音楽における楽譜と同じです。モリエール、チェーホフ、シェークスピアを読み、理解し、解釈して表現することと、モーツァルトやブラームスの譜面を見て演奏するのは同じことです。演劇は私にとって大きな経験になったため、生徒たちにも必要に応じて勧めています。

  その後、渡米を決意したきっかけを教えてください。
メッシーナ ユーディ・メニューイン氏のおかげです。ユーディ・メニューイン国際コンクールで受賞したときに、彼に「これからどうしたい?」と聞かれ、「人生とクラリネットをゼロから再スタートし、自分自身を構築するために、家族も知り合いもいない外国に行きたい。」と答えました。すると、クリーブランド音楽大学でフランク・コーエン氏に師事するよう勧められました。こうして1年間だけ留学することを決心し、奨学金を得て渡米しました。

  コーエン氏はどのような先生でしたか。
メッシーナ コーエン氏はクラリネット奏者である以前に、偉大な音楽家でした。彼は私に、様々なことを懐疑的に捉え、熟考できるよう導いてくれました。例えば、クラリネットを管楽器と考えず、人間の声やチェロだとみなすようにアドバイス頂きました。それによって、私のフレージングは完全に変わりました。具体的な例を挙げると、クラリネットでは、音の大きな跳躍があっても、指を上げ下げしてキー操作するだけで容易に吹くことが可能です。しかし、チェロでオクターブ移動する場合は、弦の上の物理的な距離があります。それは、音楽的な距離と重要性を教えてくれます。音と音の間には距離と抵抗があり、それが美につながるのです。弦楽器や声楽は、それぞれの構造的な特徴上、管楽器とはフレージングが異なりますが、そこからインスピレーションを受けるようになり、私の音楽は豊かになりました。また、声は最も自然な楽器です。歌のように演奏することは、管楽器奏者にとっての理想です。

  その後もアメリカの別の大学で学ばれていますね。
メッシーナ 当初1年の滞在予定は、最終的には9年になりました。ニューヨークが素晴らしい街だったからです!まるで、朝から晩までマーティン・スコセッシ監督の映画の中にいるような毎日でした。リトル・イタリーでは、自分の家族と同じシチリア出身の友人も大勢できました。それで、マネス大学で1年の奨学金を得て、リカルド・モラレス氏に師事しました。

  モラレス氏はどのような先生でしたか。
メッシーナ 音楽的な構造や雰囲気、イマジネーションについた教えてくださったコーエン氏とは真逆で、フレーズの最期の音色やニュアンスに至るまで、ものすごく細かい部分まで指導してくださるタイプでした。コーエン氏とモラレス氏のお二人から学ぶことができて、良かったと思います。

  エコール・フランセーズという言葉がありますが、フランスとアメリカで奏法はかなり異なりましたか。
メッシーナ 確かにエコール・フランセーズには特徴があり、フレージングや音色で聞き分けられることはあります。しかし、現在ではフランスもアメリカも個人差の方が、国による差異よりも遥かに大きい。例えばパリ国立高等音楽院のモラゲス氏、ベロー氏は対極的な2人ですし、エコール・ノルマルのギィ・ダンガン氏、ロナルド・ファン・スペン・ドンク氏、私も全くアプローチが違います。

  アメリカに留学されてから、数々のコンクールで優勝されましたね。コンクール成功の秘訣を教えてください。
メッシーナ クラリネットのことを考えることをやめてから成功するようになりました。アメリカでチャレンジしたコンクールは、全楽器が対象のコンクールでした。同じ楽器の奏者同士で競うのではなく、何を語るかで勝負しなければなりません。若い演奏家は、自分の楽器のことばかり考えがちですが、音楽について考える必要があります。

  ニューヨークのメトロポリタン歌劇場(MET)に入られたのは何故ですか。
メッシーナ オペラはイタリア文化、つまり自分の文化を表現している世界ですし、一度世界有数のMETを経験したかったので入団試験を受けました。

  METでの経験はいかがでしたか。
メッシーナ 最初のシーズンでシュトラウスのエレクトラの公演があり、ジェームズ・レヴァイン氏の指揮のもと、イタリアのキャスリン・マルフィターノ氏が出演しました。素晴らしかったです!ルチアーノ・パヴァロッティ氏とも共演し、彼の最後のトスカの公演に参加しましたが、本当に美しく素晴らしい公演でした。

現在の活動

  現在フランス国立管弦楽団で首席奏者を勤められていますが、オペラと管弦楽団でどう違いましたか。
メッシーナ レパートリーの違いはもちろんですが、シンフォニック・オーケストラの場合は舞台の上から客席がよく見えますし、客席からもオーケストラがよく見え、奏者の意見もより重視されるため好きです。フランス国立管弦楽団は、尊敬するクルト・マズア氏が指揮していたため、入団試験を受けました。彼からは本当に沢山のことを学びました。音楽のためには妥協は絶対にしない指揮者で、往年はパーキンソン病に苦しめられていましたが、毎回全身全霊をかけてコンサートを指揮しました。皆と音楽を共有するために、素晴らしい人間性と力を発揮し、常に真摯で、リスクを恐れない人でした。

  現在の活動で特に力を入れているプロジェクトはありますか。
メッシーナ オーケストラも、ソロ活動も、室内楽も、レッスンも、全ては互いに関係しており、それぞれ大切です。例えばブラームスのソナタの演奏で学んだことは、シンフォニーを演奏する際に役立ち、その逆もまた然りです。演奏活動でも教育活動でも、自分の経験したこと全てを伝えられるよう、情熱を注いでいます。

  世界中を飛び回って活躍されていますが、日々の練習はどのように行われていますか。
メッシーナ できれば3-4時間練習したいところですが、本当に忙しい日には60-75分程度しか練習できない日があります。そういう時には、まず美しい音を出す練習、ジャンジャンの「座右の銘」(教則本 Le “Vade-Mecum” du Clarinettiste)を必ずやります。効果的に練習するためには、何をどのように演奏したいか、それに対して今の自分の弱点は何で、どのような練習が必要なのかを理解していなければなりません。「座右の銘」では、運指練習、ポジション、レガート、スタッカート、ロングトーン、ゆっくりとした息の練習、半音階、12度の練習など、必要に応じて様々な練習を行います。

  メッシーナさんは、ロンドンの王立音楽アカデミーとパリのエコール・ノルマルで教えられていますね。それぞれかなり雰囲気は異なるのでしょうか。
メッシーナ ロンドンの王立音楽アカデミーには校内にバーがあって、ビールを売っています。パリのエコール・ノルマルには、カフェ・マシーンとチョコレートがあるだけ… (笑)。もう少しまじめにお話しすると、王立音楽アカデミーはオープンで素晴らしい雰囲気です。私は客員教授なので、4ヶ月ごとにマスタークラスを行なっています。一方、エコール・ノルマルでは毎週教えています。最近のエコール・ノルマルは、かなりレベルが高くなってきており、自分のクラスには、イタリア、アメリカ、リトアニア、スペイン、ニュージーランド、と世界中から生徒が集まっています。一時期アジアの生徒が大勢いましたが、今はフランスでもアジアでもなく、その他の国から来た生徒ばかりです。

  日本人の生徒がメッシーナさんのクラスに入るチャンスはありますか。
メッシーナ 日本人の生徒も、入ってくるといいですね!とは言え、クラスに入るのは大変です。私は演奏活動と両立させるため、クラスの定員を8名にしています。エコール・ノルマルを卒業するには3年かかるので、クラスから誰かが卒業しなければ、募集もありません。その分、クラスのレベルは高いですよ。他の先生のクラスでは、定員20名のクラスもあるので、もう少し入りやすいかも知れません。

クラリネットについて

  〈ビュッフェ・クランポン〉のクラリネットは、いつから使われていましたか?
メッシーナ パリ国立高等音楽院を卒業し、クラリネットを再開した19歳の時、”フェスティヴァル”を使い始めました。”フェスティヴァル”のおかげで、音の「カラー」が豊かになりました。

  〈ビュッフェ・クランポン〉はどのようなブランドだと思いますか。
メッシーナ 全く異なるタイプの様々なクラリネットが揃っており、どれも素晴らしい機種なので、全ての奏者が自分に合うクラリネットを見つけることができるブランドだと考えています。

  メッシーナさんはどのようなクラリネットを好まれていますか。
メッシーナ 内径が細めのクラリネットが好きです。現在使用している”ヴィンテージ”は内径が細めで、とても素直で自然な音が出るので気に入っています。最近発売された”レジェンド”も良いですね。また、”R13″のA管も愛用しています。アメリカで人気の楽器ですが、”ヴィンテージ”とは違った良さがあり、均一性と音程、カラーが素晴らしく、息も入りやすい。最高の楽器だと思います。

  〈ビュッフェ・クランポン〉の楽器のテスターをされていますね。具体的にどのようなことをされていますか。
メッシーナ 新しい機種が開発される時に、意見を出したり、製造された楽器の選定を行なったりしています。〈ビュッフェ・クランポン〉の開発力の凄いところは、私やニコラ・バルディルー氏、ポール・メイエ氏といった奏者が、それぞれ異なる意見を出すにも関わらず、最終的には皆が納得する、素晴らしい楽器を生み出しているところです。

  最後に、メッシーナさんにとって、クラリネットとは何ですか。
メッシーナ 音楽を創る道具、感情を伝える手段、つまり、美を生み出すものです。それが出来なければ、クラリネットは、ただの木片です。

 

※ メッシーナ氏が使用している楽器については、“ヴィンテージ”のページをご覧ください。
※ メッシーナ氏のパリ国立高等音楽院でのエピソードや練習の秘訣が、雑誌「バンド・ジャーナル」2018年8月号で紹介されています。ぜひご覧ください。

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