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出羽真理氏 インタビュー
ピアニストとして国内外で活躍し、管楽器との共演で知られている出羽真理氏。特にクラリネットとの共演が多く、数々の名奏者たちから絶大な信頼を得ています。30年以上も続けている欧日音楽講座の思い出や、共演したアーティストたちのこと、ピアニストから見たクラリネットの魅力などを語っていただきました。(聞き手:丹野由夏 2021年9月29日)
大学在学中に始めたクラリネット伴奏
– 3歳からピアノを習われていたそうですね。
出羽 (敬称略)両親が音楽好きで、私の名前もヴァイオリニストの巌本真理さんからとったそうです。大阪に住んでいたのですが、家に母が使っていたピアノがあり、3歳9ヶ月から習い始めました。高校3年生の時、父の転勤で東京に住むことが決まり、私は東京藝術大学のピアノ科を受験し、入学しました。
-初めてクラリネットと共演したのはいつですか。
出羽 大学1年生の時です。同級生からフルートとクラリネットの伴奏を同じ時期に頼まれて、クラリネットを選びました。
実は小さい頃、家にあったブラームスの「クラリネット五重奏」のレコードをよく聴いていたので、クラリネットの音色には馴染みがあったんです。それと、小学5年生の時に学校にブラスバンドができて、クラリネットを担当したことがありました。今考えれば、そういうことからクラリネットを選んだのでしょう。
– そこからクラリネットとの縁が始まったのですね。
出羽 同級生の伴奏をやったら、その上級生からもやってくれないかといわれて、芋づる式にどんどん伴奏の機会が広がっていきました。
その頃はピアニストもだんだん分業化されて、スペシャリストが生まれていく時期でした。学内ではヴァイオリンとの共演専門になる人もいたし、サックスが得意な人もいた。私は偶然にクラリネットがはまったという感じです。
-大学卒業後もクラリネットの仕事をされたのですか。
出羽 卒業してすぐ、ビュッフェ・クランポン主催のコンサートで村井祐児先生と共演しました。外国人のピアニストが急に出演できなくなって、弾いてくれないかと連絡をいただいたんです。23歳の時でした。
-ビュッフェ・クランポン日本支社を創設した保良徹は、大阪で同じ高校を卒業されたそうですね。
出羽 私の母と保良さんの奥様も同じ高校だったそうです。地域で共通の知り合いもいて、驚きました。
保良さんは室内楽の仕事をたくさんさせてくださった。濱中浩一さんとも共演させていただきました。そして音楽だけではなく、大人としての立ち居振る舞いや、食べ物のこともお詳しかった。いろいろなことを学ばせていただきました。欧日音楽講座を開始して下さったのも保良さんでした。
「欧日音楽講座」がピアニスト人生の糧に
– ビュッフェ・クランポン・ジャパンが主催する「欧日音楽講座」には、1985年のスタート時から30年以上に渡り、ピアノ伴奏者として参加してくださっていますね。
出羽 第1回から第7回までの講師はギィ・ドゥプリュ先生でした。外国人とブラームスのソナタを演奏したのはドゥプリュ先生が初めてだったので、持っている楽譜にサインをお願いしたんです。その楽譜を今も使っていて、もうこれでなきゃブラームスは弾けないですね。
ドゥプリュ先生の後、講師がアラン・ダミアンさん、イギリスのアントニー・ペイさんと続いて、その後はミシェル・アリニョンさんに引き継がれました。私の生活の中でとても大きな比重を占めているのが欧日音楽講座です。これがなかったら、ピアニストを今まで続けてこなかったと思います。
-欧日音楽講座では、毎回約20人の受講生の伴奏を2人で担当されますね。
出羽 毎年、夏になると体力検定と音楽検定の試験を受けているようなものです(笑)。多い年だと、28曲を伴奏することも。毎回、ピアノの上に楽譜をA、B、Cにランク分けして置いておくんです。Aはさらわなくても弾ける、Bはちょっとさらう、Cは初めての曲などさらわないと弾けないもの、というように。とりあえずCからさらおうか……と練習していました。毎年これがあったから、衰えずというか、忘れずに過ごさせていただいた、それが本当にありがたいですね。
長年使用されているブラームスのソナタの楽譜。表紙にはギィ・ドゥプリュ氏のサイン、譜面には歴代の巨匠たちとのイニシャルと、共演された際の書き込みがびっしりと記されている。
エコール・フランセーズの真髄は「楽譜を正しく読む」こと
– パスカル・モラゲス氏とは何度も共演されていますね。
出羽 パスカルが来日したとき、音大の講習会で伴奏をしたことで知り合いました。私より9歳年下なのですが「僕には兄弟がいて一緒にクインテットをやっているんだ」と言われ、何年間かモラゲス五重奏団と演奏会をやりました。練習場で5人が楽器のケースをぱっと開けると、なにか私にも羽をつけてくれたみたいに、楽しくできちゃうんです。オーボエのメンバーが編曲した「展覧会の絵」や「クープランの墓」など、新しい六重奏の曲をやらせていただいて、めちゃくちゃ楽しかったです。
-出羽さんは、エコール・フランセーズ(フランス学派)を継承するクラリネット奏者との共演が多いですね。
出羽 彼らに通じるのは、楽譜を忠実に読むということですね。ドゥプリュ先生、アリニョンさん、パスカル、そしてもちろん、現在欧日音楽講座の講師を務めているフローランさんもそうです。楽譜をよく読んで、ちゃんと演奏できているか耳で確かめる。たとえば、スタッカートって書いてあったらちゃんと明確なことができているか、強弱記号をちゃんと守るか、そういうことに関してとても厳しいと感じますね。
– 2021年夏にオンラインで開催された欧日音楽講座では、受講生の方にとても役立つアドバイスをされていました。
出羽 若い方には、音の向こうにあるものを感じてほしい。日本人は先生の言われたことを忠実に守るけれど、それだけではなく、自分自身の発想を持って音楽を広げていく力が必要です。もしその力をつける助けができれば、お手伝いしていきたいと思っています。
すばらしいレパートリーと音色がクラリネットの魅力
– これからの予定を教えてください。
出羽 7年前から小金井市の市民ホールで、藤井洋子さんと一緒に演奏会を始めたんです。毎年、歌やヴィオラなどのゲストの方を呼んで共演するのですが、それがとても楽しくって。今年もフルートと共演しました。そして、洋子さんが近所に住んでいるので、様々な曲の見直しと、新しい曲へのチャレンジをしています。
– 出羽さんが考える「クラリネットの魅力」とはなんでしょうか。
出羽 クラリネットの曲を残した作曲家には偉大な人が多いですね。モーツァルトも、ドビュッシーも、シューマンも。その中でブラームスが2曲のソナタを書いてくれたのが、ピアニストとしていちばん勉強になります。いまだにブラームスの本番の前には、テクニカル的なことも含めて、すごく考えます。指をさらうというか、脳みそをさらうっていう感じですね。また、クラリネットの方がそれぞれの思いをものすごく込めて吹くので、その思いを知るのが楽しいです。
あと、リードやマウスピース、リガチャーで音が大きく変わるのが面白いですね。A管とB♭管があるのも珍しい。曲によってはC管で吹いてくれる方もいらっしゃいますし、そう考えると音色の魅力が深い楽器ですね。
– これからもクラリネットとの共演を続けられますか。
出羽 そうですね。人と一緒に何かを作り出していくのは、とても楽しい作業だと思うんです。1+1が3にも、4にもなる。これからもずっと、クラリネットから離れられずに過ごすんだろうなと思っています(笑)。
– ありがとうございました。
出羽 真理 Izuha Mari
3歳よりピアノをはじめる。7歳より片岡みどり氏に師事。15歳にて全日本学生コンクールに入賞後、松浦豊明氏に師事し東京藝術大学へ入学。在学中よりNHK-TV番組 「ピアノのおけいこ」 に助手として出演する等の活動をし、 同大学を卒業。
1983年「日中平和友好条約記念演奏会(外務省後援)」に独奏者として招かれ、北京・大連にてベートーヴェンの協奏曲を演奏。
92年東京にて初のソロリサイタルを開催、その繊細かつダイナミックな演奏は、多くの聴衆に感動を与えた。97年フランスの名門「モラゲス木管五重奏団」の初来日ツアーに共演し、東京公演(東京芸術劇場)は、NHK-TVおよびFMにて全国放送された。
2001年にはパリ管弦楽団ソロクラリネット奏者パスカル・モラゲス氏の要請によりパリにて共演しCD録音を行う。
招待演奏も多く、フランス「グレジボータン国際音楽祭(MUSIQUE EN GRESIVAUDAN)」ガラコンサート(99年)に日本人として初めて招聘され、「カワイ音楽教育シンポジウム(ピアノ教師対象)」特別演奏会(98・99・01・04・05・07年)、軽井沢国際音楽祭(08・13・16年)等に出演し、いずれも好評を得ている。07年からは「N響メンバーによる木管五重奏」との室内楽コンサートも行っている。これまでに、世界的クラリネット奏者ミシェル・アリニョン、パスカル・モラゲス、ギイ・ドュプリュを始め、フランス国立管、パリ管、ベルリンフィル、ロンドン響、N響、読響、都響、東フィル、新日フィル他、数多くのメンバーと共演。特に管楽器との室内楽演奏会では、類い希なる音楽的資質と魅力的なキャラクターによって、共演者から絶大な信頼を得ている。
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