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荒木奏美氏 My Story
東京藝術大学3年在学中に東京交響楽団に入団し、同楽団で首席オーボエ奏者を務める荒木奏美氏。楽器をはじめたきっかけや、オーケストラでの活躍など、ご自身の「自分史」を振り返っていただきました。(取材・文:飯尾洋一 2020年10月21日 東京にて)
小学校の吹奏楽部で始めたオーボエ
「奏美」さんというお名前からすると音楽一家のご出身でしょうか。ご両親が音楽家になるようにと願って付けたお名前なのでは?
荒木(敬称略) よく聞かれるのですが、違うんです。画数と形が末広がりでよいということで、付けてくれた名前です。母は吹奏楽やピアノの経験はあったものの、クラシック音楽が流れるような家庭ではありませんでした。ごく普通の一般家庭です。
では、オーボエを始めようと思ったきっかけは?
荒木 小学校で吹奏楽部に入ったのがきっかけです。小学校2年生から入部できたのですが、始業式とか卒業式で吹奏楽部が演奏しているのを見て、かっこいいなと憧れて入部しました。希望はサックスとクラリネットとトロンボーンだったのですが、まずはクラリネットでスタートして、その一年後にオーボエを吹くことになりました。先生は入部したときから私をオーボエにしようと思っていたみたいです。
それは大変な慧眼でしたね。
荒木 そうなんです。先生が本当にすばらしい方で、人に合った楽器を選んでくれたのだと思います。最初からオーボエだと難しいので、まずはクラリネットで修業させようと考えてくれたようです。
吹奏楽が盛んな学校だったのでしょうか。
荒木 そうですね。一学年上にはサックスの上野耕平さんがいました。彼も最初はトランペット希望で入ってきてサックスになったのですが、それも先生のおかげです。
すごいですね、同じ小学校の吹奏楽部に荒木さんと上野耕平さんがいたんですね。
荒木 家もご近所でした。走れば3分くらい(笑)。やはり先生がすばらしかったんだと思います。先生はもともと楽器ではなく歌の先生で、音楽表現をいちばんに考えてくれる方でした。
オーボエを始めた頃は、難しい楽器だと感じていましたか。
荒木 まだ先入観がありませんでしたから、特に難しいとは感じていませんでした。練習中に先生に「今のは楽器のせい、それとも自分のせいなの、どっち?」と尋ねられて、「楽器のせいです」というと「自分のせいだから」と言われたりして(笑)。オーボエだから出にくい音があっても、聴いている人には関係ないのですから克服しなさい、という教えを受けました。
音楽の道に進もうと決めたのはいつ頃でしょうか。
荒木 小学校の途中から個人レッスンを受けるようになって、吹奏楽のほかにオーボエのソロの曲も吹くようになったころから、漠然とこの楽器を長くやっていきたいと思うようになりました。中学を卒業して、音楽高校に進学するか迷ったこともありましたが、当時の先生に、そんなに急がなくてもよいのではないか、もっとほかのことに興味がわくかもしれないと言っていただいて、一般高校に進学しました。音楽の道に進もうと、きちんと意思を持って決めたのは高校2年生のときです。
東京交響楽団入団と国際オーボエコンクール・軽井沢での優勝を経て
大学は東京藝術大学に進んで、在学中に東京交響楽団のオーディションを受けたのですよね。
荒木 そのときは3年生で、まだプロのオーケストラのエキストラの経験もなかったので、自分を知ってもらいたいという気持ちでオーディションを受けました。だから、受かるとは思ってなかったんです。ただ、受けるなら首席奏者というポジションで受けようとは思っていました。
オーディションの手ごたえはどうでしたか。
荒木 一次審査も二次審査も会場がミューザ川崎だったんです。あんな大きなホールで吹くことは普段ありませんから、すごく楽しかったですね。今では考えられないことですが、ぜんぜん緊張もしませんでした。オーケストラの曲を吹けるのも新鮮で楽しかったです。
それでオーディションに合格してしまったんですよね。
荒木 まずいな……と思いましたね(笑)。オーケストラの経験がないので、経験を積みたくて受けたのに、この段階で入団してしまうとオーケストラに迷惑をかけてしまうのではないか。そんなふうに心配していました。でも入団してからは、在学中に入れてよかったと考えるようになりました。オーケストラでやってみてわからなかったことがあっても、レッスンを受けている先生方にすぐに聞けますし、自分の居場所がオーケストラだけではなく大学にもあることで精神的に安定できたと思います。
プロのオーケストラに入ってみて、驚いたことはありましたか。
荒木 情報量の多さですね。客席で聴いているよりも、中で演奏しているほうが音の情報量も視覚の情報量もずっと多いのがいちばんの発見でした。みなさんの息づかいも聞こえてくるし、いろんな人がいろんな発音で音を出すので、それが自分の発音に役立ったりもする。今まで自分だけで考えていたことについて、あちらこちらにヒントがあるんです。
オーケストラに入団してプレッシャーは感じませんでしたか。
荒木 そんなにはなかったですね。無我夢中でプレッシャーを感じる暇もなかったのでしょう。オーケストラでは音の出し方からして違うので、最初は自分が出す音がぜんぶまちがっているような気がして、自信を持って吹ける状態とは言えませんでした。ただ、自分が迷っていたら、周りも迷わせてしまうというのは、入ってすぐにわかりましたので、どんなに自信がなくても、絶対に傍目にはわからないようにしていました。プレッシャーはむしろ慣れてきてからのほうがあります。
2015年に国際オーボエコンクール・軽井沢で優勝しました。周りの見方がずいぶん変わったのではないでしょうか。
荒木 変わりました。コンクールの後はいろいろなお話をいただくようになり、取材の機会も増え、リサイタルも毎月のようにあって、半年くらいは覚えていないくらいの忙しさでした。
コンクールで優勝して自信につながったのでは。
荒木 どうでしょう、自信にはつながっていないような……。1位を獲ったから認めてもらえるというような気持ちはまったくなかったですね。オーケストラに入団するときと同じで、どうしよう、私なんかがもらってしまっていいのかなという気持ちのほうが大きかった。ただ、コンクールで知ってもらったおかげで人とのつながりがたくさんできて、管楽器だけでなく、弦楽器奏者やピアニストたちと共演できる機会が増えたことがいちばんよかったことだと思います。
愛用中のオーボエ“プレスティージュ” と今後について
楽器についてのお話もお聞かせください。現在お使いの楽器はいつから使われているのでしょう。
荒木 高1で音大受験を考え始めた頃から、ビュッフェ・クランポンの「R47 グリーンライン」を使っています。最初に吹いたときから、これがいい!と思って、ひとめぼれでした。このグリーンラインは木の粉末状のものを固めた管体なので、木目がないんです。そのため、どの音域でも均一に鳴るのが特徴です。少し重量感があるので、奏者はけっこう吹き込まないといけないのですが、どんなに吹き込んでも音が散らずに、きちんと豊かに鳴ってくれます。近くで鳴りやすい楽器や、遠くでよく聞こえる楽器はありますが、「R47 グリーンライン」は近くでふくよかに聞こえ、遠くでも芯のある音が聞こえます。
荒木さんにとっていい楽器の条件とは?
荒木 自分の意志がきちんと伝わることだと思います。細かいニュアンスを拾ってくれる楽器とそうでない楽器があるので、そこは大事にしています。
演奏家として特にお好きな作曲家はありますか。
荒木 モーツァルトやベートーヴェンなど、古典派の作曲家が好きです。明快な和声やフレーズのなかで遊ぶのが自分にとっていちばん楽しいですね。モーツァルトはオーボエのために協奏曲も四重奏曲も書いてくれましたし、オペラでもオーボエを愛して使ってくれているのがわかります。でも、バロックや現代音楽も好きですよ。
仕事を離れたプライベートな時間ではどんな音楽を聴いていますか。
荒木 うーん、そのとき取り組んでいる音楽を聴くことが多いですね。仕事を離れたからぜんぜん違う音楽を聴くというよりは、そのとき練習している曲だったり、同じ作曲家の別の曲を聴いたりします。その期間はその作曲家の音楽ばかりになります。
今後、音楽家としてチャレンジしたいことは?
荒木 室内楽が好きなので、仲間を集めて、あまり知られていないレパートリーを演奏したいですね。オーボエのレパートリーって、けっこう固定されていると思うんです、ソロも室内楽も。長い時間をかけてレパートリーを増やしていければ、自分のためにもなるし、これからオーボエを吹く人のためにもなると思っています。
ありがとうございました。
※ 荒木氏が使用している〈ビュッフェ・クランポン〉“プレスティージュ R47”の紹介ページはこちらをご覧ください。
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