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Tadayoshi Takeda Interview 2018

ジャック・ランスロに師事し、国内外のコンクールで一位を受賞。現在ソリストとして活躍する傍ら、国立音楽大学学長を務める武田忠善氏。ジャック・ランスロからの学びや、ジャック・ランスロ国際クラリネット・コンクール(2018’)で審査員を務められた感想、使用されているクラリネットについてインタビューを行いました。
取材:ビュッフェ・クランポン・ジャパン(2018年9月7日・東京にて)

ジャック・ランスロ氏から学んだこと

  ジャック・ランスロ氏との出会いについて教えてください。
武田(敬称略) 国立音楽大学で浜中浩一氏に習っていた時に、卒業したら浜中氏の師匠でもあるランスロ氏のところに留学するように勧められ、ランスロ氏が講師を務めていた夏のニースの講習会に参加したのが、初めての出会いでした。1975年のことでした。講習会の後は、ランスロ氏に師事するために9月にルーアンの音楽学校に入学しました。
 ニースの講習会では、世界中からいろいろな楽器の奏者が集まってくるため、レッスン会場が足りず、クラリネットは幼稚園でレッスンを行っていました。レッスン場所の案内図をもらって、中庭に入り、水やりをしているおじさんに「ランスロ先生はどこですか?」と聞くと、なんとそれがランスロ氏ご本人だったのです!講習会ではとても優しくレッスンをしてくださりましたが、ルーアン音楽学校に通う先輩たちには「実際はこんなんじゃないからな!」と脅されました(笑)。

  ランスロ氏は、実際は怖い先生だったのでしょうか。
武田 全然怖くなかったです。私は留学期間を2年と決めていたので、限られた時間で可能な限りたくさん教えたいと言ってくださり、火、水、金曜日と、週に3回、それも毎回2時間くらいレッスンをして頂きました。その分課題はとても多かったので、一生懸命練習しました。

  ランスロ氏はどのような先生でしたか。
武田 本当に優しい先生です。思いやりがあり、日本的な印象もあります。気難しいところもありましたが、生徒には親身になって接してくださる人でした。
ランスロ氏は、世界中のクラリネット奏者の古典やブラームスの演奏の真似が、すごく上手な方でした。天才というよりも、素晴らしい努力家だったのではないかと思っています。自分なりに苦労したからこそ、練習方法や指遣いなどを見つけて、人に教えられるのでしょう。初めから苦労せず天才的に吹けてしまう人は、どうして生徒ができないのか、わからないですからね。その点ランスロ氏は、様々な演奏家の演奏を聴いたりして、研究熱心な方でした。私には言葉が十分に通じないから、というのもありますが、レッスン中にたくさん吹いてみせてくれました。
 我々が留学していたころは、ランスロ氏はもう50〜60歳くらいでしたが、今残っている録音を聴いても、もうそれは素晴らしい演奏でした。例えば、ウェーバーのコンチェルト2番は、本当に鳥肌が立ちます。それを肌で感じていますし、生徒に教える時に最高のパフォーマンスを発揮するためにも、私は精進しなければならないと思っています。ランスロ氏もすごく練習する方でした。ソリストで、天才と呼ばれていましたが、努力の人でもありました。
 それはまた、ミシェル・アリニョン氏にも通じるものがあると感じます。彼とも30年くらいのお付き合いですが、今でも刺激を頂いています。先日のランスロ・コンクールの審査員コンサートで彼と演奏した、プーランクの「2本のクラリネットのためのソナタ」はとても好評でしたが、この歳になっても進化していけるのは、貴重です。その代わり、2人で物凄い練習をしました!

  ランスロ氏からは、どのようなことを学ばれましたか。
武田 私は、自分が「フランス派の古き良き伝統」を伝える最後の指導者なのではないか、と思っています。それが、ランスロ氏のもとで学ぶことができて1番良かったと思うことです。例えば先日のジャック・ランスロ国際クラリネット・コンクール(2018’)でのドビュッシーの演奏は、ランスロ氏に聞かせたら全員怒られると思いました。書いていることを皆さんやっていません。倍のテンポで演奏しないといけないところを、倍以上のテンポで速く吹きすぎます(楽譜1)。ドビュッシーは、装飾音符やテヌートなどで、克明に楽譜に書いてくれているのに、ピアノの和音を聴かずにそのまま通り過ぎてしまったり(楽譜2)、ア・テンポで72に戻るところも、皆さん速すぎました。水の流れ、ドビュッシーの色彩(印象派モネの色彩)はそのテンポでは表現できません(楽譜3・4)。

 このようなランスロ氏の教えを、ミシェル・アリニョン氏から招聘されパリ国立高等音楽院でマスタークラスをした際に、フランスの学生たちも忘れかけていた大切なこととして、伝えました。すると後日、当時音楽院に在籍していた吉村直子さんから「ランスロ先生が伝えていた『古き良き伝統』を日本人の先生に教えてもらった!と生徒さんたちが感動していましたよ。」と教えて頂きました。更にその2年後、アリニョン氏から、「学生が、また武田先生を呼んで欲しいと言っている。」と伝えられた時には、とても嬉しかったですね。
 マスタークラスではドビュッシーの曲について、印象派の絵画、葛飾北斎のイメージなど細かい説明をしました。最後のパッセージでは、ドビュッシーの海と同じイメージで波が差し迫ってくるように、といったアドバイスとしました。通訳も担当してくれたピアニストから、気配に関する描写等は日本ならではの指導であり、フランスの学生は、そのような細かいレッスンを受けたことがない、と述べられていました。ランスロ氏は、そのような伝統的なスタイルを教えてくれました。日本的という言葉を何度か使いましたが、そういった日本人的な細やかな方だったから、良かったのだと思います。

ジャック・ランスロ国際クラリネット・コンクール参加者へのアドバイス

  ランスロ氏の名前の付いたコンクールで審査員をされていましたが、コンクールに対する特別な思いはありましたか。
武田 4年前初めて日本でジャック・ランスロ国際クラリネット・コンクールを開催した際に、コンクールの在り方についてたくさん議論しました。やはり我々は教える立場として、ランスロ氏から学んだフランスの伝統を今の若い世代に伝える使命があると考えています。そういった意味でも、課題曲はランスロ氏の得意としていた曲を取り入れています。それらの曲を通じて、フランスの伝統を参加者が勉強できれば良いと思っていました。しかし、課題曲の一つであるドヴィエンヌの演奏ひとつ聴いていても、ピアノと一緒になって音楽を作ろうとしている人はほぼいませんでした。あれでは、技術だけを見せつける、スポーツ・クラリネットになってしまいます。現代曲も、吹いている人が違っても、皆同じに聞こえてしまっていました。

  ドビュッシーについて、色彩感を表現するうえで何を学ぶべきですか。
武田 ドビュッシーのハーモニーにある微妙な色彩を日本人は感じることができるはずです。彼は日本の絵に影響を受けていますしね。同時代のクロード・モネの絵もそうです。ドビュッシーの冒頭のメロディーでも、半音のハーモニーの中に微妙な色合いがあります。それを無視して演奏してはいけません。水辺に浮かんだ折角の色彩を、一気にかき回してしまうようなものです。水辺にある色彩の上に、雨水が一滴落ちた時、また色彩が変わりますよね。そういった微妙な違いを日本人は感じ取れるはずなのです。

  武田先生がコンクールの後に、「ランスロ氏が最も気持ちを込めたのはモーツァルトのクラリネット協奏曲だった」と仰ったそうですが、それは何故でしょうか。
武田 一つのエピソードとしては、クラリネット協奏曲はモーツァルトが亡くなる直前に書かれたので、他の協奏曲とは違い、実は暗い曲です。フレーズの終わりは、クラリネットが明るいメロディーを吹いていても、オーケストラの伴奏は哀しいハーモニーを奏でていたりと、絶対ハッピーになりません。それがモーツァルトの人生を表しているし、人間の単純がゆえに奥深いところを書いているのではないか、と思います。それをランスロ氏が表現すると、すごく感じるのです。どの楽器の演奏家に聞いても、モーツァルトのクラリネット協奏曲はランスロ氏の演奏が一番良いと言います。心細やかで思いやりがあって、人間的に優しいランスロ氏だからこそ、演奏すると滲み出るものがあります。
 私はモーツァルトとドビュッシーを習いたくてランスロ氏のところに行きましたが、実はモーツァルトのレッスンを一回も受けたことないのです。レッスンのたびに譜面台の1番上に楽譜を置いていたのですが、一度も見てくださりませんでした。最後にランスロ氏に、「私は君にモーツァルトを演奏するために必要なことは教えた。あとは自分のモーツァルトを吹けばいいよ。」と言って頂けました。そしてフランスから帰って翌年、日本音楽コンクールがあり、本選でモーツァルトを演奏しました。楽器の機種もリードも変えて臨んだコンクールでしたが、北爪利世先生(北爪道夫さんのお父様)から、終わった後に「ランスロさんそっくりだったね!」と言われました(笑)。

  モーツァルトを演奏するうえで一番大切だと思うことを教えてください。
武田 一音も無駄にできない曲です。すべての音、すべてのフレーズを大切に演奏すること。ひとつひとつのフレーズを自分なりに考えること。私はオペラをよく意識して、「ここでバリトン歌手が歌い、次はアルト歌手が答える。」などイメージします。モーツアルトのクラリネット協奏曲は、突き詰めると本当に難しい曲です。ドビュッシーとモーツァルトは、生涯この先もずっと演奏していきたい曲ですね。私は、調子が悪い時はドビュッシーを練習します。そうすると、それが音に表れます。そこで、「ここの音は、こういう音。」という風に自分のイメージする音に近づけて調整することができます。一般的には理想の音にするために、リードを選んで調整しますが、私の場合は吹いた音をイメージしてそれに近づけるようにしています。学生にも「リードは何でもいいんだよ。」と伝えています。

  今回現代音楽もありましたが、演奏するうえで違うポイントがあるのでしょうか。
武田 あります。ミシェル・アリニョン氏ともよく話しますが、基本的には同じなのです。ただ吹くだけではいけなくて、ひとつの音にしてもひとつのフレーズにしても、作曲家が楽譜に書いてくれているのですから、忠実に演奏しないといけません。

  今回のコンクールで、日本人参加者の演奏はいかがでしたか。
武田 日本人の演奏について言えるのは、誰が聴いても日本人だとわかるくらい、昔から割合型にはまるような演奏です。特に音の輪郭について言及すれば、日本人は音の密度がない。音の中身が薄いと、色彩や色合いが出せません。ミシェル・アリニョン氏も指摘されるように、やはり作品に対する気持ちや、作曲家が伝えたいことを理解することが大切で、ドビュッシーだったら色彩やイメージを突き詰めるという意識が不足しているのでは、と思います。ただ正確に演奏すればいい、と思っているようなところがまだありますね。しかし、先生にアドバイスされたことは上手にできたりもします。受け身の姿勢は、民族的なものなのでしょう。とは言え、日本人の演奏には良い面もたくさんあります。中国人も韓国人も最近はヨーロッパで勉強する人も増えてきて、とてもレベルが上がりましたが、日本人も同様です。

  次のランスロ・コンクールを受ける人達に向けてアドバイスをお願いします。
武田 ランスロ・コンクールに限らず、コンクールにどんどんチャレンジしてほしいです。そのために練習するのということが一番良いことです。ただし、何となくコンクールを受けるのは、やめたほうがいいですし、必ず本選の曲まで練習するべきです。もし間に合わなくても、そのために一生懸命練習することでレベルが上がります。ジャック・ランスロ国際クラリネット・コンクールで言うと、先ほどもお話ししましたが、ランスロ・コンクールの意味をしっかり考え、クラシック音楽の伝統的なところをしっかり勉強しているかどうか、表現しているかどうかを審査したいですから、きっちり勉強してほしいと思います。

進化し続ける自分と〈ビュッフェ・クランポン〉のクラリネット

  〈ビュッフェ・クランポン〉のクラリネットは、いつから使われていましたか。
武田 高校1年生から、約50年くらいです。中学生の時は、学校にあったイタリア製の〈オルシー〉というブランドを使っていました。長野の中学校に、すべての楽器の中でそのクラリネットだけ残っていたのです。音楽の先生に、「小学生から音楽の才能があるのを知っているから、吹奏楽部に入りなさい。」と勧められました。入部して差し出されたのが、組み立てる前の古いクラリネットで、「これは何ですか?」と聞きました。新入生が使える楽器がそれしか残っていなかったのです。本当は格好いいトランペットや打楽器がやりたいと思っていました(笑)。
 高校に入ると吹奏楽部に入るつもりはなかったのですが、中学から一緒だった先輩から、お願いだから入ってくれと頼まれて吹奏楽部に入りました。そしてある時、先輩に長野の音楽教室にレッスンを受けに行こうと誘われて、ついて行ったところ、東京から稲垣征夫先生がレッスンに来られていて、音大を受けるよう勧められ、彼の師匠でもある大橋幸夫さんを紹介して頂きました。そこで音大を受けると決めて、楽器屋さんへ行き、モデル“No.1”という機種を使い始めました。R13の前身のような機種です。それからずっと〈ビュッフェ・クランポン〉を使っています。

  <ビュッフェ・クランポン>の楽器のどんなところを評価されていますか。
武田 “RC”、“S1”、“フェスティバル”、“トスカ”、“レジェンド”と色々なモデルを使ってきましたが、時代に沿って楽器も進化しています。それは決してその時代に媚びているわけではなく、メーカーとして、ジャック・ランスロとロベール・カレの時代から始まり、今でいうとミシェル・アリニョンとエリック・バレですが、プレーヤー側、作る側が一緒に進化しているのです。これはすごいことです。

  最新機種の、“レジェンド”はいかが思われましたか。
武田 初めて“レジェンド”を試したとき、これはいいと思いました。同じ内径で“レジェンド”の前に発表された“トラディション”を試した時は、ランスロ氏に習っていた頃を思い出しましたね。でも“トスカ”をずっと吹いていた自分には、息の入れ方の違いなどで違和感がありました。それで“トスカ”をずっと気に入って使っていたのですが、“レジェンド”を吹いた時は、“トスカ”とは全然違うのですが、今での積み重ねが集約された楽器だと感じました。具体的には、低音から高音まで、音程を含めてバランスが良い楽器です。誰かがクラリネットを自動車に例えていましたが、私のイメージでは“トスカ”は車でいうとハイブリッド・カーで、誰もが楽に運転出来て省エネな車。 “レジェンド”はポルシェで、誰もが運転できるわけではないかもしれない。でも運転しづらいわけではなくて、先ほども言ったように下から上までバランスが良いので優れた楽器なのです。“レジェンド”に替えてから、皆さん音が良いと言ってくださり、自分でも満足しています。“レジェンド”は今の自分のイメージとマッチしています。
 “トスカ”を使用していた時、私の楽器を試した人は皆、「 “トスカ”ではないみたいだ!」と話していました。今の“レジェンド”も、開発者でもあるミシェル・アリニョン氏が私の楽器を試した時、「この楽器はとてもいいね。」と言ってくださりました。要は、楽器を自分のイメージの音に変えていくのです。“レジェンド”を吹いた時、自分の中の進化していくイメージと、楽器の進化が、マッチしたのだと思いました。私の“レジェンド”は、柔らかくてしっかりした音が出ます。

  これからクラリネットを購入する方に、選び方のアドバイスを教えてください。
武田 やはり息が入りやすく、吹きやすいことです。大学でよく試すのは、学生の楽器を私が吹き込んでみてから返すと、皆さん声をそろえて「吹きやすい!」と言います。実際に音も変わる。普段なんとなく吹いているだけでは、楽器が寝てしまいます。そこで私が吹いてあげるとびっくりして楽器が目を覚ますのです。学生に返したら3分くらいでまた寝てしまうのですけれど(笑)。よくこのやり方を試しますが、「楽器を吹いてあげても、あなたの音が何も変わらなかったときは、私は引退する。」などと言うと、学生はびっくりして頑張ります。つまり、息の入れ方は、プロと学生では違うので、選ぶ時にそれは想定しています。もしかすると、私にとって吹きやすい楽器でも、生徒にはもっと吹き込まないとならなかったりする場合もありますからね。とにかく楽器もリードも吹きやすいのが一番です。

  最後に、武田先生にとって、クラリネットとは何か教えてください。
武田 私は、クラリネットでしか音楽をやってきていませんし、表現できませんので、やはり、自分の一部です。一番の喜びは、ピアノや歌、弦楽器など他の楽器の奏者と演奏している時、ハーモニーや音楽を共有しながら一つのものを作り上げることです。その時は、自分がクラリネット吹きだということは忘れ、音楽をするための一部になっています。クラリネットの調子が悪い時は、自分自身の調子が悪いということです。クラリネットを練習したり、演奏したりすることが、健康や精神を維持する秘訣でしょうか (笑)。
 学長の仕事も大変ですが、クラリネットを演奏することで全て忘れられます。クラリネットが吹けなければ、学長の仕事はできません。でも、演奏以外の仕事もしている今のほうが、「音楽ができる。」「クラリネットができる。」という幸せを実感できるようになりました。だから今になってもまだ進化できるのかなと思います。

※ 武田氏が使用している楽器の紹介ページは以下をご覧ください。
レジェンド

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